私たちのプレゼンテーションの最終ゴールは何でしょうか。
良い情報提供でしょうか。立派に話して素晴らしい自分の姿を見てもらう事でしょうか。言っていることは最もだけど、なにか話を聴いているとモヤモヤする。というプレゼンター、どんなに素晴らしい話をしても、どんなに立派に話してもアンチの方がいる方も沢山います。「出る杭は打たれる。」という言葉で片づけるにはあまりにももったいないと思います。
このポッドキャストで何度かお伝えしていますが、プレゼンテーションの語源はプレゼント。聴き手に何かをプレゼントするという意味も含んでおります。さて、何をプレゼントするものなのでしょうか。私はプレゼンでプレゼントしているものは、その空間の味わいの共有だと思います。誰が何をどう話すか。はとても大切ですが、その空間に流れる一体感や安心感を味わう事を感じさせるプレゼンターになる。という意気込みでプレゼンをされる方、どれほどいらっしゃいますでしょうか。
聴き手との一体感を感じるためには、自分らしく話すこと、「他の誰か」にならないということはとても大切です。
プレゼントレーニングで、必ずと言っていいほど、「自分らしく話す。という点で、自分の出身地の方言で話すのはいかがでしょうか?」という質問を受けます。
自分の出身地の方言で話すことについて、もちろん、答えは一つではないですし、状況にもよりますが、実際にプレゼントレーニングでも、敢えて、自分が話しやすい「方言」で話してみるということをした後に、他の受講者の方に聴いていた感想をお聴きすると、多くの場合、プレゼンターが方言を交えて話したほうが、エネルギーが直球で届き、心が動いた。というフィードバックを得ていました。フォーマルさを意識するあまりに、自分らしくないと、言葉に乗るエネルギーレベルも低く、言葉が宙に浮き、誰にも何も届かないということが発生してしまうようです。ということであれば、自分らしく心地よく話せるような話し方を練習しておくことはとても効果がある事だと思います。ものの程度にもよりますが、方言を交えて話したからと言って、プロフェッショナルではないと思われるでしょうか。考え方次第では、一生懸命標準語で話し、繕った自分で聴き手と繋がりを持てないほうがリスクかもしれません。
さて、冒頭で話したトピックのプレゼンの目的は何かを思い出してみましょう。
良く見せたいのはなぜでしょうか?良い印象を残すことは誰のためなのでしょうか?プレゼンの練習をするのは誰のためでしょうか?私は話し手も聴き手も皆で良い時間を過ごしたと感じるための準備だと思います。ベクトルの方向が直線ではなく、曲線であり、円かもしれません。むしろ線ではなく起点もどこでもないような立体空間を創る事。バブルで包む事。それができる方は威圧感がなく、聴き手は心を平いて聴くことができ、相手が緊張をしてしまうような威圧感や華美な自信で自分を装飾せずに、心理的安全な空間をつくることができます。
ナチュラルでいる方法、、、その一つは、練習をしっかりすることかもしれません。練習をしたら、作り込みすぎでナチュラルでいられないのでは?と聞かれることもあります。これも答えは一つではないと思いますが、一つの考え方として、練習をする事で、プレゼンを心身が記憶し、実際のプレゼンでは自分を信頼し聴き手の呼吸にあわせて話をすすめるることができるようになると思います。練習からプレゼンは始まっているのです。
リンカーンに始まり、歴史に名を残すようなスピーチをする方々の多くは資料作りはもちろんですが、実際のデリバリ―の練習にこそ力を注ぎます。スーパーナチュラルに話していた、かのスティーブ・ジョブズですら、iphoneの発表のプレゼンまでは、数百時間練習をしたということをお聴きします。彼のプレゼンは話し方がうまい。ジェスチャーが良く出来てる。アイコンタクトができている。歩き回りながら場の効果的な場の使い方を行っていた。そのようなテクニカルな事はもちろんですが、むしろ、聴き手、空間との呼吸が合っていて、間の使い方、ユーモア、次の展開を一緒に聴き手と創り出し、聴き手つまり空間一体となり一緒に楽しみ、会場を一つのバブルで包んでいたからこそ、歴史に残るプレゼンとなったのだと思います。まさに、それこそがプレゼンテーションなのだ。と感じました。さらに、プレゼンの資料はシンプルで、ほぼ文字はなく、写真や簡単なグラフの共有により、聴き手にもそのストーリーの創造主になってもらう話し方こそが、真のプレゼンでありプレゼントだと実感させられました。
ですから皆さん、プレゼンは楽しい時間の共有というマインドを持ちましょう。そうすれば、聴き手の心に残るプレゼントを届けることができます。